★ぷうすけアイランド★

− 在るのか無いのか分らない未来のために −

2011年10月

パパはお出かけするとき、運転席の窓から「ぴーは番犬」と言う。



お散歩中に足が痛くなると私に引っ張られるのが嫌で文句ばっかり。
最後は「ぴー、バイバイ」。
私はバイバイがきらいなのっ
いうことをきかないと無理やり引きずられちゃう。
私を虐待してるのよ。

パパなんか訴えてやる!
TS3W0011(2)

「だって痛くて歩けないんだもん」
「行き倒れになるよりましだ」
「チョロチョロ動き回るぴが悪い」
「おバカっぴ」

確かにバイバイは身に染みるみたい。
私が居なくなってしまうことだと理解している。



ぴっぴの散歩をしていたら救急車のサイレンの音がする。
だんだん近づいてくる。
すぐ近くに停まったので見に行こうとした。

ぴっぴが動こうとしない。
リードを引っ張って「おいで」と言っても動かない。
「来い!」と言っても動かない。
振り返ると、絶対に行くものかという顔で、必死に前足を踏ん張っている。
あんなぴいすけを始めて見た。

そうだよなー。
ぴっぴの前で倒れたまま動かない。
ピーポーの音がすると居なくなっちゃう。
バイバイは嫌だよな。

日中はいつも、私の脇で嬉しそうに寝転んでいる。
TS3W0176

このところ私の好きな人物が相次いで亡くなっている。
記事にしたかったが機会が無かった。

相次ぐ病院暮らしと東日本大震災のショック。

あまつさえ東京電力福島第一原発事故の被害者なのだ。
あれ以来、笑うことを忘れたままだ。

周囲に不平不満を言いながらも多少は生きるための努力をしている。
リハビリを諦めたわけでもない。
いつまでも東京電力の能無し無責任、「大馬鹿野郎」の相手をしているわけにはいかないのだ。

「うすばかげろう」を「ウス馬鹿下郎」と読み違え、ずいぶん悩んだ人がいた。
先日お亡くなりになった、作家の北杜夫さんだ。
「夜と霧の隅で」で芥川賞を取ったのは良いけれど、第2作目を用意しておらず、古い原稿でごまかした。
文章は兄の斎藤茂太氏のほうが上手だとコキおろされたこともあった。
確かに駄作も多いと思う。

マスコミの報道はきれいごとばかりで楽しくない。
斎藤茂吉、斎藤茂太の両氏はテレビや新聞で取り上げた。
娘さんも取り上げたかもしれない。
1番面白いのは母君の輝子さんだろう。
彼女の旅行をみればよく分かる。
大人のADHDそのものなのだ。

駄作で記憶に残るのは新聞に連載した「ぴょこり氏」。
ちっとも面白くないのだ。
「躁うつ病」の作者に連載小説は無理なのだ。
連載する時期が悪かったのだ。
そう、北杜夫さんは「躁うつ病」を公表していた。
今で言う「双極性障害」を当たり前のこととして世の中に浸透させたのだ。


遥か昔、笑いを忘れた私に笑いを取り戻してくれたのが「どくとるマンボウ航海記」。
私は経済白書や現代用語の基礎知識ばかり読んでいたわけではないのだ。
ちゃんと普通の本も読んでいる。
北杜夫さんの初期の作品なら全部持っている。
勝手に親しみを込めて「さん」と書いている。

実を言うと記憶に残っている言葉をたまにぱくっている。
冒頭で無理やり使った「あまつさえ」もその一つなのだ。

書物にしろ何にしろ原点を知らなければ作者の全体像を捉えられない。
絵画も音楽も、ブログも同じことなのだ。


ご冥福をお祈りいたします。
 

東京電力の記事を書くほどにプライバシーを晒してる。
ここは田舎町。
特定されたらどうしましょう。


ここはメンタルブログです。
本当にメンタルブログなんですっ。
メンタルブログの主が近所にバレたら洒落にもならぬ。

打ち切りになったシリーズを別なところに持っていく。
今のlivedoorで出来るのか?
打ち切りになったシリーズが無い _(._.)_

引っ越す。
すぐばれる。

ブログを消滅させてネット断ち。
無理っぽい。

残すには修正箇所が盛りだくさん。

記事を非表示にする。
非表示の記事が多いからわけが分からなくなる。
ああ、めんどくさっ。

日記みたいなものだから焼却処分にはまだ早い。

記事なんて書けるのか。
どうでもいいや。

寒さで痛み止めが効きません。
強風にハートが震えています。
痛みは気絶でもすりゃ通り過ぎる。
自分のハートを自分で暖めるのは難しい。

自主的なリハビリをするスペースがありません。
自分でスペースを作るのは辛いです。
リハビリをしていないので退院時より状態が悪化しています。
痛いです。

タバコを吸いながら、ぴっぴと日向ぼっこの毎日です。
昼夜逆転していました。
怒りのぷうすけさんも気力が萎えました。

見舞いに来た方たちや、心配してくれた方たちに連絡さえしていません。
直接、様子伺いに来た方が3名もいます。

一昨日、メインのパソコンのバックアップをするために外付けハードディスクを借りた、公私ともにお世話になったお姉さんから電話があり、私の声を聞くなり「昔のぷうすけさんはどこに行ったの」。
最後の台詞が「また電話するからね」。

はい、その日からリハビリ始めました。
考えてみりゃ自室でなくても出来るわけです。
相変わらず手間のかかる私です。

メインのデスクトップパソコンは壊れました。
サブ機のデスクトップも壊れました。
今はご好意で遠路はるばる送っていただいたノートパソコンから記事書いてます。
貰ったとも言います・・・。


3時過ぎてしまった。
寝ます。
眠いです

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