★ぷうすけアイランド★

− 在るのか無いのか分らない未来のために −

カテゴリ: ブログの限界

引越し前のブログに検索から訪れる方が絶えません。

キーワードは発達障害と交通事故に関するものばかり。

発達障害については
引き続き記事にしてますので
このブログのリンクを貼ってきました。 

成人ADHD
大人のADHDについては
継続しています。 


ブログを変えるたびに質が落ちている。

人間が丸くなったというか。(あり得ない
歳を取ったというか。(プースケ年取らない

20年間以上の呪縛から解き放されたのかも知れない。

今じゃ私1人が問題児。
緊張感ゼロです。
大したこと書きませんて。


今のテーマなんて
「仕事が無いから金が無い」
だもんね。



成人ADHD (大人の)ADHD)

パソコンはこちら
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 発達障害・自閉症へ

携帯用です
にほんブログ村 発達障害・自閉症

最近、成人ADHD・大人のADHDの記事が増えてしまった。
ついでだからもう少し書いておこう。

私は過去に違うブログを維持していました。
今はもう在りません。




最後を飾る記事は
ADHDに関係する本を出版した「作者の寄稿」と
「私の感想」にしようと決めていました。


間に合いませんでした。


訪問者もいない前回のブログで記事にしました。

ここに書くのは作者と私のやりとりの抜書きです。





「記事の中の作者の言葉です」

ブログの収穫なんて、、、、、実際に救われた人が必ずしもお礼を書いてくれる訳じゃないんですから。

ほんと、バーツさんには「お疲れ様」とお詫びしか言えなくて、、、。ごめんなさい。



ブログで具体的に集められるものって、結局リンクとコメントくらいですよね。

テレビの影響力には勝てませんから、どっかのマスコミがコンタクト取ってくるとかそんな奇跡は起きない、宝くじくらいの可能性しかないと思ったほうがいいような気がします。

だって***さんのブログでさえ、すんごいその役割をシンプルにしていて。

外部からの問いあわせったって、ブログにその期待はしていないようですしね。

社会の多数派を占めている普通の人に相手にされる読み物は、私達が書くのは至難の業です。普通の人にとって面白いものは私達にはなじめなくて、私達に役に立つものは普通の人にとっては宇宙語なのだと思います。


バーツさんは独創的に、この機能を最大限利用しようとして頑張りましたよ。そう思います。

ネットの可能性を最大限試してみようとしてケジメも付けずに途中で放棄した私なので、バーツさんの努力は、とてもねぎらわれる価値のあるものだと思うのですよ。
初期に誰かがこう伝えないと、何ヶ月も悔しさが忘れられなくなりますからね。
公平なものの見方を忘れた人達に、突き放されても突き放されても、相手にして欲しくてたまらなくて日常の多くを占領されていくのですよ。

私が表だってねぎらわれる言葉も、気配ももらえなかったという現実を味わったのです。その上更に嫌な思いもしたバーツさんの苦労もいかばかりでしょうね、、、、。

状況分析したり、言葉の裏を読んだり、人の流れを探ったり、言葉にされない多数派意見を読みとったり、先回りしたり、二次被害を作らないように言葉を選んだり、作った覚えのない第三者の二次被害のフォローを悩んだり、その苦労苦痛は、もうもう私もたくさんです!たっくさん! (泣)
あの時期を思い出しただけで頭がおかしくなって、今でも何をやっていても手も頭も止まってしまいます。
どんな前向きなことを自分にしてあげていても、一度フラバすると全部ぶちこわしぃー!になります。 (怒)

バーツさんも、“ブログ過集中被害”の後遺症は大丈夫でしょうか?
時間をいっぱい見ないとその程は分かりませんが今は、日本の発達障碍者の人権の未来よりも、心配かもしれない、、、、、。

私のことも心配していただき、ありがとうございます。
確かに、あの署名はぶっ飛んでましたよ。 (泣笑)
何となく分かってました。

短く言うなら「自分、仲間、社会」の三本柱を立てないと全てが成り立たないと思っていました。
今でも、組織だった動きをするならこれを基礎にして組織運営や役割分担をしていくべきだと思っています。

実際に動いている人から活動の細分化したステップを聞いて、一度大風呂敷に並べて、連携不足や一人に偏っている仕事をばらして振り分け直して、ネットだけで動きに参加したい人間にもコーチングの意味も含めて知らせて、意見や励ましをもらって、そういう動きに成長していくための成長を、個人レベルでみんなですべきだと期待していました。
個人個人が自分の受け持ちを自覚して、横道に逸れなければ、一人くらい空気が読めなくて場違いに謝り倒していたり雑談で暴走したりしていても、フォローできそうなイメージがありました。



大間違いでしたね。
私達は、組織をぶち壊すように本能に組み込まれて生まれてきているのですよね。
何かをぶち壊してないと、ウツになって、壊すものを待ちこがれて探していく宿命なんですよ!

だから、組織そのものが私にとって毒以外の何物でもないんですよねー、、、、。

社会で組織に属して、別の場所で達発達障碍者の組織の規律を求めていたら、自分が壊されて行くのも当然だったかも。

要するに、生きていていい場所なんてやっぱり無いのかな。

まずいですね。こんなこと言い続けちゃ、まずいですね。

止めまーす。
さようなら。



にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 発達障害・自閉症へ
にほんブログ村

人は集団生活するように出来てる生き物ですから、自分自身を確認するためにはどうしても、人との繋がりが必要だと思っています。

それを、大胆にする人もいれば、こわごわしておかしくなっちゃう人もいるという違いはありますが。

ただ、自分にウソを付きながら繋がる関係ばっかりだと、人格の全否定の危機になると思います。

ただ、ウソが無い、ナマの自分と繋がってくれる人が必要になる段階はどうしてもあるわけで。

そこ経過しないといけないわけで。

傷ついたときは、そういう関係でないときちんと癒されないわけで。

だから、そういう場所を将来確保するために、
作って!
作って!

今は頑張って我慢するから、
早く作って!

でないと、これからもっと要支援の人は増えるよ!
・・・・・・・と。




「辺縁系タイプ傾向ADDの一人の、無様で空虚な負け惜しみの弁です。黙ってご覧ください。
そして、この事実についてもし思うことがあれば、一人一人が自分の胸に自分で問いかけていただきたいです。」


にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 発達障害・自閉症へ
にほんブログ村

『ナマ現実で向き合う人に、ケアをして欲しいんです。』
そういう担当者を社会に作りたかった。

   「今日はバランス良く食べてる?」

   「今日は咳しないで寝られそう?吸入はした?」
 
   「今日は誰への恨みも文句も引きずってない?」

   「寝られそう?」

   「肩こりはどう?この先はどうするの?」

これらを聞いてくれる人が必要なだけです。

『私に向けた反応を返してくれる人が必要なんです。』


最後の「感想」の記事は最悪。
あの記事1つでブログの価値が下がちゃった (T_T)




「感想」・・・仕方なく書いた後書きです。


みなさんの人生は予想として後何年残っていますか。

何もしなければ、その何年も何年もずっと、今と同じ生活が続きます。

同じ悩み、同じ苦情、同じ人間関係、自分の周りで同じ面子の人が同じ理由のいらだちで同じように自分を嫌い続けます。

自分は年老いていきます。

人の愛情も関心も、それを自分に向け続ける手段も、体力も無くなっていきます。

この現実に、甘んじるんですか?


大多数のふつうの人は、私たちの身の振り方を、何も決めてくれません。

決めるのは、みなさん自身です。

個人で決心して行動に移しても、こうして挫折します。

でも、他の誰も助けられません。

決められません。

仲間でさえも。

現実を甘く見ないで欲しい。

逃げている暇も、無いはずです。

決めてください。

それが、私のブログを見ているみなさんへの、宿題だと思います。
  



 

何とお粗末な記事だ。
本当はもっとカッコよく決めたかったのに。

著者は自分の本をけなせと言う。
私の言葉でおもいっきりけなせと言う。

けなしましたよ。
「負け犬の遠吠え」だの何だの
めたくそにけなしました。

でも、けなしきれなかった。
自分の言葉でなんか書けなかった。
だって同じこと考えてたんだから。

成人ADHD(大人のADHD)の
情報発信に特化したブログ。
仲間にも手伝ってもらったブログ。

やっと一部で成人ADHD(大人のADHD)が
話題になり始めたころ。

訪問者の数も凄かったけど質問なんて無かった。

みんなが情報に飢えていた。





このブログには記事を移してないと思う。

まあ、いろいろあったのです。




あんなブログは2度と作りません。
作れと言われても出来ません。

お金を貰っても書けません。
無理です。





こんな記事が残っていました。


こんなブログには載せたくなかった。

記事が可哀想。
作者にも申し訳ない。

以前のブログなら全国的な反響があったのにね。

でもあきらめていた記事を公表できただけで、嬉しいと思うことにしよう。


作者と仲が悪いわけではありません。
仲が悪ければここまで辛らつなことは書けません。

これは作者と私が共同して作り上げた記事です。
私も辛かったですが、作者も辛かったでしょう。

ある家庭で奥さんと話をしていた。
窓の向こう50メートルくらいに中学生が3人立っている。

「真ん中にいるの息子さんじゃない?」

小学6年生の頃から3年くらいいじめられている」
「殴りつけてやりたい」

*方言のままで表記すれば勘の良い方なら地区がばれる。現に私が分かるのだから。

目の前でいじめられているのに、それで終わりなのか。
なんにもしないのか?
それで母親か?
私ならすっ飛んで行くぞ。


そして、ここがどこだったかを思い出す。
ここに来てからのことを思い出す。
そういう土地柄だということを思い出す。
何を言っても無駄だからやめておこうとなる。
お仕事のお話に戻すことになる。
そういう「風土」なのだ。

「自尊心「も「プライド」も無いもんな。
それでいながら「格付け大好き」で「偉そうな態度」をする。
「ターゲット」を決めて行う。
それを「いじめ」と言うのだが、子供も大人も高齢者も当たり前と考えているらしい。
「何も知らない」「何もしない」、そんな方に威張られるなんざお断りする。


「自立更正センター」の記事はそういった風土に対する嫌味だった。
あっという間に「Yahoo」も「google」も「1位」だ。

他は、「何もしない」「事実を知らない」「読んでも意味無い」記事ばかり
数字に対する疑問や市の対応を予想したのは私の記事だけ。
事実その通りに動いたではないか。
1人だけ正確な事実を捜し求めて行動しようとしている方がいた。
書いていることも間違っていない。

その方の記事がトップページに載った。
1位の私がその記事にリンクを貼った。
それが「自立更正センター住民運動」の序曲だ。


その後、解説じみた記事や何を根拠に書いたのだ?という記事が増え「やっぱり、その程度の地域かい」と思っていた。
私がリンクを張った方の新しい記事がトップページを飾り正確な情報を発信し始めた。
私の出番は終わった。
私が記事を非表示にした本当の理由はこれだ。

先日、検索して目に付いたのが明確な目的を持って作られ現在も活動しているとおぼしきホ−ムページの数々。
それぞれの立場(利害関係も含む)で立ち上げたホームページなら良し悪しを問わず存在する価値がある。
主義主張とまでは言わないが考え方は個人の自由だ。
私の考え方と正反対だろうが何も言わない。

その中に情けないホームページがあった。
私がリンクを貼った方の悪口を書いているのはかまわない。
内容が情けない。
私が記事に書いた
「何もしない」「何も知らない」「バカじゃないの」の見本なのだ。
他のホームページがそれと同列に思われたら「迷惑」以外のなにものでもない。
そんなホームページに存在価値など無い。


私の記事は貴方達のような者に対する「批判」だったのだ。
「地域格差」の「要因」だと書いたのだ。

送る言葉はただ1つ。
「バカに付ける薬なし」




ネットにも良いところはある。
個人にとって大きな意義がある。
知らぬ同士が互いの心のひだを感じ取れる。
ほんの1%に過ぎない正確な情報が判断の材料となる。
生死を左右する大きな要因になる。
趣味の世界でも大きな役割を果たす。


そういえばWindowsは仕事で使うことを前提に作られたものだ。
個人として使うのは高層ビルの1部屋分にも満たない。
使用言語が英語としていることが一般コンシューマーのパソコン嫌いの要因。
多言語化に対応するべきだと思う。
英語を社内の公用語にしたIT企業の理由付けは英語でなければ仕事が出来ないということだろう。
それをどうこう言う理由は無い。
「多言語化」の努力をしているのかとだけ言いたい。

アメブロから記事の更新を知らせるメールがPCに、PCから携帯に自動転送。

タイトル見れば昔に戻ると決めたらしい。
どうしたんかなーと覗きにいけばブログが無い。
一年前に戻るなら自分で決めた道。
三年前では酔っ払ってマンホールに落ちるかも。
冗談ではなくマジで落ちるのだ。
実際、私が落っこった。
仕事中、両手にいっぱいの荷物を持って走っていたら、蓋の無いマンホールに片足突っ込み右手首にけっこうなヒビ。
仕事中なれば同僚に知られる。
心配する者誰一人無し。
皆さんの笑いを誘い、仕事のストレス解消に貢献する癒やし人間。

蓋を外したまま注意を促す目印も設置せず、現場を離れた業者が悪いのだ。

道路のど真ん中のマンホールにスッポリ落ちたことにされてしまった。
今でも笑う奴がいる。
夫婦して笑う奴がいる。

そんなふうにはなって欲しくない。
だから一年前が無難なのだ。

こちらの管理画面ではアメンバーになっているのにあちらはなってないらしい。

前のブログのコメント欄は携帯では分からない。

それとも引っ越したのかも知れない。


久しぶりに心のかけらを見せた。(タイトルだけだけど)
これで方向性が見えた。

自分で結論を出したのだろう。

それは良いことなのだ。

前向きなの行動なのだ。

自主的、且つ能動的な行動にエールを送る私なのだ。



考え過ぎ、思い込み、妄想癖とも言う。

でも的中率はたかいのだ。

↑このページのトップヘ

ケアプロスト