脚の手術方法が決まり主治医の説明以外の情報を知りたくなった。
何でも知りたがりやの私なのだ。

まずは「概略」を知らなきゃならない。
「キーワード」は手術法の名称。


携帯で「検索」したらトップページに表示されたのが
「とんでもない」
「それはやってはいけない手術です」
「なに考えてんですか」
「あなた、一生を棒に振りたいの」

そんなのばっかし並んでた。
「手術名」「検索」したのだから「骨折」を「キーワード」にするのと大差ないのだ。

トップページがこれじゃ、おバカな私でも悩みますがな。

系統だった分かりやすい情報が欲しいから検索したのに、
検索すればするほどネガティブな情報ばかり表示される。

頭ごなしに否定せず柔らかな言葉で書いてあったなら改めて他の「キーワード」を使ったかも知れない。
我が身は酸素マスクやら何やらでがんじがらめ。
気力なんぞ萎えてしまったのだ。
後日も検索したがロクでもない情報ばかり。

主治医を信じて手術室に行きました。
運ばれましたと言うのが正解です。


ポジティブな情報がどこにも見当たらない。
以前からインターネットなんて80%が「ネガティブな情報」だと教わっていたけれど、幾らなんでもあんまりでございます。

私は「情報の90%以上」が信用できない、ハッキリ言えば「99%」が信用できないと思っていたけど「あのキーワード」使ってこれかい。

個人が個人の経験やどうでも良い情報を公表している。

「人によって違うべさ」
それはアナタ「個人の体験と感想」でしょ。

「情報源はどこなのさ?」
「信憑性は?」
「裏づけは?」
「著作権は?」


自動車評論家の提灯記事なら「どうして?」と考えれば少しは本音が見えてくる。
芸能関連ゴシップ垂れ流しはただのコピペ、感想も書いてない。
「著作権」さえ知らないらしい。
ガセネタや間違いをネットで拾ってコピペして。
そんなもん何の価値もありゃしません。

必死に書いている方は「ヒント」を与えてくれる。
ネガティブだろうがポジティブだろうが全体像にたどり着ける。

検索すれば100〜200位くらいには入っている。
そんな記事を見つけるには長時間かかる。
見つけたときは得した気分になる。

私みたいな偏屈オジサンも少なくは無い。
そして視点が定まっている。
頑固で偏屈だから考え方がぶれない。
私ならこう書くだろうと考えさせられる。
そういう方たちはそれなりに調べたり勉強しながら書いている。
「成るほど、そういう見方も成り立つ」
「上手いこと書くなー」
などと思ってしまうことも少なくない。
でも殆どの方の読者数が1桁なのだ。

私がある情報を探す必要に迫られた場合、「予備知識が無いなら先ず本を読む」ことにしている。
概略を掴んでから詳細を知るためにネットをウロウロ。
書店には申しわけないけれど立ち読みするだけでもポイントがつかめる。
パソの前に位置したときは半分以上忘れちゃってるが始めからパソコンで調べるよりも効率が良い。
同じような情報をかき集め最後は自分で判断する。


「デジタル」という言葉や物を身近に感じてから15年以上経っているが「デジタル」というカタカナが好きじゃない。
自分は「アナログ人間」だと思っている。


インターネットが「英語」を基本としているのが嫌いだ。
基本じゃなくて「英語だけで成り立っている」と言ったほうが良いのかも。
もっと「多言語に対応」できないんだろうか?

つまんない「機械翻訳」、あれのどこが日本語なんだか・・・。
世界中で英語のサイトをスイッ、スイッ、スラ・スラ・スラーと読んでいる人間が半分もいるんだろうか・・・。
アジアの人間の半分が英語スラスラなら更に更にインターネットが普及するように思えるのだが私の考え違いかも知れないな。
英語は私の「トラウマ」だから他の方達と感じ方、考え方が違うんだろう。
「トラウマ」になった理由を並べていくと「学校」と「教育」に話がずれるからやめとこう。
中学生の頃は人並みだったとだけ書いておくのだ。
言い訳書いたところでお終いにするのだ。