今の自分を自己否定したら負のスパイラルが待っている。
自分では何も出来ない身体になったけれど、
自分で自分を認めてあげる。
自己肯定だ。
自分の主張を通す。
人として扱えと主張する。
人としての最低限の権利を認めろと主張する。
身体が動いた頃は自己を肯定して生きて来た。
自己否定なんかしなかった。
頑固だ、生意気だ等といろいろ言われた。
でも、それが生きるための手段だった。
仕事のスキルも身に付けた。
仕事上の考え方は殆ど当たっていた。
生意気と言われようと私が勝った。
言葉も理解できぬ土地で生きるのは非常に疲れた。
ADHDだから何処の土地でも似たようなものだが、
言葉が理解できないのは始めてだった。
それでも仕事の実績で私の存在を認めさせた。
それが今はどうだ。
身体が動かないということは完全な弱者だ。
人と会うことも無い。
話し相手は飼い犬のぴっぴだけ。
家族の誰もが手を差し伸べない「お荷物」に成り下がった。
今から先の未来なんて在るのか無いのか分からない。
いつ再発しても不思議はない。
再発の仕方にもいろいろある。
出来ることなら苦しまずにポックリと逝きたい。
それが叶わない時が問題なのだ。
私は何故リハビリをしているのだろう。
何故リハビリに拘っているのだろう。
歩く為だ。
左腕の筋力を退院時に戻すためだ。
ADLもQOLも関係ない。
歩けなければ左腕が使えなければ、何を教わっても無意味。
リハビリをする理由は単純だ。
鬼嫁に想い出を残してあげる為だ。
鬼嫁とぴっぴと私の想い出を作る為だ。
ぴっぴと遊んであげたいのだ。
ぴっぴを散歩させるのはぴっぴに喜んで欲しいからだ。
b>只その為にリハビリに拘っている。
最近、リハビリの内容に行き詰ってしまった。
何をすれば良いのか分からない。
PTに相談しなきゃ見当もつかない。
指針が欲しいのだ。
PT(医学療法士)に頼ることしか思い浮かばない。
居宅リハビリの作業療法士も同じ考えらしい。
ケアマネが変ったのでいろいろ相談しているところです。
今日も読んで頂きまして有り難うございます。
押してね m(__)m
*「追記」
7時前にトイレ。
2度寝。
8時半から朝食。
軽いリハビリを済ませれば12時半頃。
ぴっぴの散歩を200m。
ウンチはしなかった。
寒くはないが風が強く歩き難かった。
昼食(昨夜の残りの焼きそば)を終えれば14時。
パソでマージャンをするが会話の無いマージャンは淋し過ぎる。
16時頃ぴっぴを庭に放すがウンチをしない。
朝7時頃に朝食を食べたきり何も食べてないからだろう。
お腹も張ってない。
17時頃から再び250m程ぴっぴと散歩。
ウンチせず。
ドッグフードにオヤツを混ぜて与えたら
普通の食事並みに食べた。
鬼嫁が帰って来たらダッシュして散歩に行くだろう。
18時に鬼嫁が帰ってきた。
*「おまけ」
「散歩に行くの?」
「朝行ったから行かない」
「仕事の時は午後から行くけど6時過ぎたら行かない」
「今までは6時過ぎに行ってたよ」
「誰が?」
「俺が(辛い思いをして)」
「昔あんたがね」
昔も行ったけど去年の秋も行き倒れ覚悟で行ってらー。
「ウンチしないくらいじゃ死なないよ」
「犬のことばっかり」
「ちっとも私に感謝しない、云々…(意味不明)」
「休みの日に何処で何をしてるか分らない奴に何を感謝しろってんだ」
「犬の散歩に行く?と聞いただけでヒステリーを起こして喚く」
「もっと小さい声で喋ってくれ」
「何がどうなってるか知らない」
「対処も出来ない」
「漫画の悲劇の主人公か?」
「何にも考えられない馬鹿じゃないか」
「どうせ気違いで馬鹿ですよ」
「だから、あんたの面倒みてる」
生きる幸せも分らない奴に何を感謝すりゃいいのだ。
食事なんて酷いものだ。
それでも茶碗を洗ったり危険な事をしている。
負担を減らそうとしている。
この身体で手前がやってみろ。
立場が逆なら私は面倒をみる。
自分の考えを行動で示す。
只のヒステリーの大声叔母さんとは違う。
全部を背負う。
キャパシティの違いだろう。
バカバカしいからぴっぴを連れて100m散歩。
別のコースに行こうとするぴっぴ。
ウンチせず。
このお腹の張りなら明日の午後の散歩でも大丈夫だろう。
足もとがふらついて怖かった。
18時半はさすがに反射板かヘッドランプが欲しくなる。
家に戻ったら命綱の携帯を忘れて散歩していた。
トータル550mぴっぴと散歩。
1発で500m以上散歩出来るようにならなければ。
ぴっぴ(犬)は裏切らないから感謝している。
人間は裏切るし嘘をつく。
伝えたいことの6割も伝わらない会話をしている。
ついでに言葉が分らない。
今日の言葉は大体通じた。
鬼嫁の言葉は出来るだけ日本語に翻訳しています。
それで何を感謝しろと言うのだ。
充分感謝していると思うのだが。
自分では何も出来ない身体になったけれど、
自分で自分を認めてあげる。
自己肯定だ。
自分の主張を通す。
人として扱えと主張する。
人としての最低限の権利を認めろと主張する。
身体が動いた頃は自己を肯定して生きて来た。
自己否定なんかしなかった。
頑固だ、生意気だ等といろいろ言われた。
でも、それが生きるための手段だった。
仕事のスキルも身に付けた。
仕事上の考え方は殆ど当たっていた。
生意気と言われようと私が勝った。
言葉も理解できぬ土地で生きるのは非常に疲れた。
ADHDだから何処の土地でも似たようなものだが、
言葉が理解できないのは始めてだった。
それでも仕事の実績で私の存在を認めさせた。
それが今はどうだ。
身体が動かないということは完全な弱者だ。
人と会うことも無い。
話し相手は飼い犬のぴっぴだけ。
家族の誰もが手を差し伸べない「お荷物」に成り下がった。
今から先の未来なんて在るのか無いのか分からない。
いつ再発しても不思議はない。
再発の仕方にもいろいろある。
出来ることなら苦しまずにポックリと逝きたい。
それが叶わない時が問題なのだ。
私は何故リハビリをしているのだろう。
何故リハビリに拘っているのだろう。
歩く為だ。
左腕の筋力を退院時に戻すためだ。
ADLもQOLも関係ない。
歩けなければ左腕が使えなければ、何を教わっても無意味。
リハビリをする理由は単純だ。
鬼嫁に想い出を残してあげる為だ。
鬼嫁とぴっぴと私の想い出を作る為だ。
ぴっぴと遊んであげたいのだ。
ぴっぴを散歩させるのはぴっぴに喜んで欲しいからだ。
b>只その為にリハビリに拘っている。
最近、リハビリの内容に行き詰ってしまった。
何をすれば良いのか分からない。
PTに相談しなきゃ見当もつかない。
指針が欲しいのだ。
PT(医学療法士)に頼ることしか思い浮かばない。
居宅リハビリの作業療法士も同じ考えらしい。
ケアマネが変ったのでいろいろ相談しているところです。
今日も読んで頂きまして有り難うございます。
押してね m(__)m
*「追記」
7時前にトイレ。
2度寝。
8時半から朝食。
軽いリハビリを済ませれば12時半頃。
ぴっぴの散歩を200m。
ウンチはしなかった。
寒くはないが風が強く歩き難かった。
昼食(昨夜の残りの焼きそば)を終えれば14時。
パソでマージャンをするが会話の無いマージャンは淋し過ぎる。
16時頃ぴっぴを庭に放すがウンチをしない。
朝7時頃に朝食を食べたきり何も食べてないからだろう。
お腹も張ってない。
17時頃から再び250m程ぴっぴと散歩。
ウンチせず。
ドッグフードにオヤツを混ぜて与えたら
普通の食事並みに食べた。
鬼嫁が帰って来たらダッシュして散歩に行くだろう。
18時に鬼嫁が帰ってきた。
*「おまけ」
「散歩に行くの?」
「朝行ったから行かない」
「仕事の時は午後から行くけど6時過ぎたら行かない」
「今までは6時過ぎに行ってたよ」
「誰が?」
「俺が(辛い思いをして)」
「昔あんたがね」
昔も行ったけど去年の秋も行き倒れ覚悟で行ってらー。
「ウンチしないくらいじゃ死なないよ」
「犬のことばっかり」
「ちっとも私に感謝しない、云々…(意味不明)」
「休みの日に何処で何をしてるか分らない奴に何を感謝しろってんだ」
「犬の散歩に行く?と聞いただけでヒステリーを起こして喚く」
「もっと小さい声で喋ってくれ」
「何がどうなってるか知らない」
「対処も出来ない」
「漫画の悲劇の主人公か?」
「何にも考えられない馬鹿じゃないか」
「どうせ気違いで馬鹿ですよ」
「だから、あんたの面倒みてる」
生きる幸せも分らない奴に何を感謝すりゃいいのだ。
食事なんて酷いものだ。
それでも茶碗を洗ったり危険な事をしている。
負担を減らそうとしている。
この身体で手前がやってみろ。
立場が逆なら私は面倒をみる。
自分の考えを行動で示す。
只のヒステリーの大声叔母さんとは違う。
全部を背負う。
キャパシティの違いだろう。
バカバカしいからぴっぴを連れて100m散歩。
別のコースに行こうとするぴっぴ。
ウンチせず。
このお腹の張りなら明日の午後の散歩でも大丈夫だろう。
足もとがふらついて怖かった。
18時半はさすがに反射板かヘッドランプが欲しくなる。
家に戻ったら命綱の携帯を忘れて散歩していた。
トータル550mぴっぴと散歩。
1発で500m以上散歩出来るようにならなければ。
ぴっぴ(犬)は裏切らないから感謝している。
人間は裏切るし嘘をつく。
伝えたいことの6割も伝わらない会話をしている。
ついでに言葉が分らない。
今日の言葉は大体通じた。
鬼嫁の言葉は出来るだけ日本語に翻訳しています。
それで何を感謝しろと言うのだ。
充分感謝していると思うのだが。