★ぷうすけアイランド★

− 在るのか無いのか分らない未来のために −

タグ:社会生活

3日前から出来そうな気がしていたが確信に変わった。

鬼嫁の車の運転席に乗り込み運転出来ると確信した。

絶対に運転出来る!

私の車も運転出来る!

ぴっぴ。

もう少しだけ待っていろ。

おとなしく待っていろ。

もう1つ階段を登ればドライブが待っている。

春になる迄の辛抱だ。

私の姿が分かるんですね。


上下ともに真っ黒のウィンドブレイカーで表に出た途端、まだ動いている車の窓から私を見つけ興奮していました。


相変わらず両足でピョンピョン跳ねて喜びます。


そこは滑りやすいタイルの上だからやめろっ!


滑ったら膝だけじゃ済まないぞ。


「待て

「待て

「付け


とにかく動くな


お座りをすると右膝蓋骨が外れます。
立てば膝蓋骨は入ります。


入りますけどね…。


私が触れても痛がって鳴きます。

止めろとばかしに必死で私の手をくわえ、右膝から追いやります。

左膝蓋骨に触っても我慢しています。


ぴっぴは猟犬タイプのわんこです。

獣医さんも認めた、自分の弱みを見せない子犬です。


我慢して我慢して、最後は私に抱きついてきます。


私の手を振りほどくほどに痛いのです。


走るために生まれてきたようなわんこです。


あの「ラブラドール」に壊されたのです。(怒)


ぴっぴが辛い思いをしている間は飼い主を忘れません。


派遣をしていた時に面倒みたお返しがこれかい。

昨晩(1月25日.火)7時過ぎ、ぴっぴがお抱え運転手(鬼嫁)と逢いに来てくれました。


ぴっぴは1歳になる頃まで、暗がりで目が見えてないような動作をしていました。
わんこは夜行性のはずなのに
^_^;

嗅覚は生後2・3ヶ月で1キロメートル以上の散歩道を(臭いで)幾つも覚えましたし、他のわんこ逢いたさに臭いを見失うことなく辿っていました。

良く動く大きな耳を持っていますので聴覚は心配していません。

私がブログを始めたのは発達障害がきっかけなんです。
ブログの基本に位置したのが成人ADHD。

初代ブログはADHDに特化したブログ。
私の記念碑みたいなブログ。
あれで一区切りつけたつもりが2代目、3代目のブログにも記事を移しています。(一部の記事は行方不明)
どうあがいても身体(脳みそ?)がADHDとお別れできないんです。
ホントはそんなもんとお友達になりたくない。
だけど共存するっきゃない。

私なんか恵まれているほうです。
家庭もあれば子供もいる。
曲がりなりにも人並みの社会生活を送ってきた。
年金生活まで計算済みです。
成人発達障害としては軽度の部類なんでしょうね。

自活することさえままならない方も数多いんです。
自活とは一人で炊事をして食べるだけのことです。
掃除、洗濯も含んでたっけ。
キャンプ生活みたいなもんです。
自立なんかじゃありません。
自立とは社会生活を送ることです。

軽度の私でさえひどい思いをしています。
大多数の方たちは私より苦労していると言っても良いでしょう。
自活することが出来ないんですから。
行政の援助申請を申し込み門前払いされている方も少なくありません。
自治体によっては教師に対する教育も進んでいます。
然し、病気や障害はなった者でなければ理解できません。
理屈じゃないんです。
経験なんです。
理解できない者が教師を教育したところで何が出来るのか疑問です。
理屈だけ覚えた教師に何が出来るのでしょう。
私は殆どの教師に期待などしていません。
2代目のブログでは教師を叩きまくっています。

厚生労働省は発達障害者の声に耳を傾けずリタリンを取り上げました。
ヤンセンファーマはマスコミに叩かれるのが怖かったのでしょう。
マスコミはリタラーとリタリンの過剰投与を行う医師を告発するつもりがリタリンは悪との印象を深めてしまいダンマリを決め込む始末。
リタリン取り上げるより犯罪を取り締まるのがスジだと思うんですけどね。
代わりに出てきたのがコンサータ。
リタリンと同じと言われているが化学式は異なる。
コンサータが手に入る子供達は良いだろう。
成人はコンサータさえも取り上げられてしまった。
ベタナミンなんてものを頂いているが私には殆ど効果がない。
私に死ねとでも言いたいのか?
援助も保護もしないけど社会で生きろと言うのか?
それでも何とかするけど。
社会生活を営むけど。
しないで済む苦労をしなきゃならない。
だから厚労省も叩いた。
「損保ジャパン始末記」などおまけにすぎない。
あんなもの刺身のツマ以下だ。
我が子のために当たり前のことをしただけ。
苦労の範疇になど入らない。

言いたいことは山ほどある。
書き出したら切りがない。
でも私のブログはメンタルブログじゃない。
社会生活の営みを綴るブログだ。
思いついたことを綴るブログだ。
「成人ADHDだから出来る訳がない」なんて書いたことなどない。
グチはこぼすけどガス抜きとして必要なのだ。
普段の生活でも「成人ADHDだから出来ません」と言ったことはない。
見える障害・見えない障害に関わらず、そんなことは当たり前のことだ。
病気や障害を抱えて社会生活を営んでいる者なら誰も言わない。
だが社会生活を営めない者に迄それを要求するのは無理というものだ。
慰めや同情など何の役にも立たない。
励ましも状況によりけりだ。
必要なものは「共感」。
そして「生きやすい社会の枠組み」。
愛と感謝も悪くない。

病気や障害を持つ者だけが大変なわけじゃない。
たまたま障害に軸足を置かなきゃならなかっただけ。



終わんないからもうやめよう。

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   ┃ おサボリ中 ┃
   ┃穴埋め記事┃
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    ΛΛ.‖
   .(゚_゚*)‖
  . /ぷ.つ‖
   〇―〇.‖


私は転勤するたびに経験の無い分野を任された。
商品知識なんぞ欠片も無い。
それでも数値は飛躍的に伸びた。
常に売り上げから純利益まで総ての数字が右肩上がり。
万引きなんて気にしたことが無い。
万引きされるような売り場なんて作らないもん。

私は組織の奴隷じゃなかった。
部下も同じく奴隷じゃなかった。

それでもノルマなんぞ余裕でこなした。
健康を害した部下もいない。

他の部門からは「楽しそう」と羨ましがられる。
数字がダントツだから「楽している」なんて
陰口は叩かせない。


私は組織に関わることが出来ない変わり者。
自分なりに生きるすべを身に付けていた。
それが人を管理する上でもっとも大事な要素だった。
日本にADHDなんて言葉もなかった頃の話だ。


ADHDと知ったしばらく後に気付いた。
私のような人間が社会で生きていくためには
欠かせないことだったんだなって。
私のやり方は間違っていなかったんだなって。

発達障害の私が人並み以上の数字を残せた。

社会生活を送れた。
ADHDでありアスペルガーでもある私が家庭を維持できた。
仕事のほうが遥かに楽だった。

そう、私のやり方は間違っていなかった。

動機付けでも目標管理でもない。
ましてや自己管理でもない。
そんなもの後から勝手についてくる。

最近の本にはテクニックとして載ってるけど
昔の本には一切書いてない。
仕事上の言葉としては存在したけど
意味合いが違う。

知ってる方は知っていた。
仕事の成果と結びつけた方は少ない。

知識や気持ちが一方に偏りすぎるのだ。


さあ何が大事なんでしょうねえ。

そんなもん自分で考えてくだされ。

ここリンクしてる方達は実践してますよ。
私は仕事だけでパワーを使い果たし
実生活では実践出来なかった・・・。



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