★ぷうすけアイランド★

− 在るのか無いのか分らない未来のために −

タグ:自立

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今日、曇り時々晴れ。^1℃、7℃。
明日、晴れ時々雪。0℃、7℃。

朝からご機嫌斜め。
車の免許を取り上げられたことで鬼嫁と娘と口喧嘩。
免許が無いのでどこにも行けない。
歩けないからこそ免許が必要。
自分で医者にも行けない。
行きたいところに行けない。
私は階段昇降が出来ないので電車にも乗れない。
誰もが口を揃えて「運転はムリ」と言っていたと鬼嫁に言われた。
自分で何もできないのはホントに辛い。
自立できないからポジティブになれない。
今日は気温も上がるがデイケアに「体調が悪いので休む」と電話した。
せっかくの歩くチャンスを自ら潰した。

9時半、室内リハビリと歩くための準備運動終了。
MPT14秒。
9時54分昨日のブログを書いてアップした。
10時40分、昨日と一昨日のブログに写真を貼り付けた。

ツイッターで糖尿病の指標HbA1cの数値や食事などについて質問した。
そんなに悩むほどの数値ではないようだ。
アルコールも少量なら大丈夫だろうと返事が来た。

11時半ころに鬼嫁は葬式に出かける。
歩行練習しようかと思う。

11時03分。パパは歩いてるよ。
DSC02826

DSC02827

11時04分から国道コースに出発。
曇り空だが無風で寒くはない。
前半は歩幅が伸びたように感じたが後半はそれほどでもなかった。
歩きだして40府bbでトイレタイムにしたかったが場所が無かった。
仕方が無いのでリハパンに放尿。
30分以上トイレなしで歩くのは難しい。
最近は住宅用に整地されたところが多くトイレタイムが取りにくい。
新しいスニーカー履いた。
足の回転はムリに上げなかった。
速度は思いのほか遅かったが歩幅は40センチを確保した。
2500m、54分48秒。時速2.8km。6204歩、歩幅40.2センチ。
DSC02828

12時02分。ぴいたん只今。
DSC02831

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13時20分、写真も取り込んだしブログにも張り付けた。
いったんブログをアップしよう。
twitter覗いたらさらに返信が着てた。
HbA1cの数値6はやはり良い数字ではないようだ。
今まで甘いものを気にせずに食していたが少し控えよう。
何も手を打たないでの数値だからちょっと気を付ける程度でいよう。
あまり考えたらツマラナイ生活がさらにつまらなくなってしまう。

今朝も新聞に目を通していたら
たちまち睡魔に襲われた。

床に転がって眠った。
チャイムが鳴ったのに気付いた。
ヘルパーさんが来てた。


最近昔の記事を読んでいる。

凄いリハビリをしていたものだ。


24:00に眠ってしまった。



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Pの朝の散歩と朝食は鬼嫁の役目だった。
鬼嫁もPが大好きだから楽しそうだった。
忙しい時は約350mの最短コースを楽しそうに走っていた。

雨の合間にそのコースをPと散歩してきた。
安定感の良い靴を履きPに引かれて散歩した。
歩けなくなってから始めての挑戦だ。
どんなことをしても家に戻ると覚悟をきめた。
無事に戻れた。
ちょいと回り道をしたから約400mだ。
後半は時々、「待て」をさせたので30分もかかってしまった。

家に戻り、庭に放して自由に遊ばせた。

私は一休みしてから足首の運動をした。

バランスの練習もした。


それ以外の自主リハビリはしていない。
ストレッチもやめた。
そんな体力など残っていない。
疲れが増すだけだ。


今日の体調で歩けたのは驚きだった。
途中で脚が上がらなくなったが何とかなるものなんだな。
これからも出来るだけPとの散歩を続けよう。
Pの爪をすり減らすために散歩しよう。
それに、1番のリハビリは歩くことだし。



鬼嫁は戻って来るのだろうか。

私が自立すれば戻って来るのだろうか。
鬼嫁が言う「自立」とは、
自分で身の回りのことが出来るという意味なのだろうか。
私は鬼嫁を母親代わりになどしていなかった。


Pを貰って来たのは鬼嫁だ。
Pは薬殺される運命だった。
そのPを保護した方から頂いてきた。
鬼嫁はPが可愛くてたまらない。

P可愛さで戻って来るだろうか。

私の相手をさせるためにPを置いて行ったと母から聞いた。
高齢者の言うことだからあんまり当てにはならないが、
私は信じている。
ペットを飼えない所に住んでいるとも考えられるけど…。


椅子に座らず米をといだり食器を洗えるようになって2ヵ月が経った。
先月末からは流し台に身体を預けずに出来るようになった。

少しずつ進歩している。

そういえば鬼嫁は私の自主リハビリ姿を見たことが無い。
私が休んでいる姿しか見たことが無い。
いい加減なぐうたら亭主にしか見えなかったのかも知れない。

今頃説明したとて何の意味も無いことは分かっている。

Pと400m散歩出来たことをメールする価値なんてあるのだろうか。
多分、無いな。


ここまでは
戻って来てもらうために何かをしなければいけないという、
私の希望だ。



戻らないだろうという考えも成り立つ。

鬼嫁の年金が私より多い事を知ってしまったのだ。
私の勤務先の経営難が原因だった。
いかに安給料とはいえ厚生年金の加入歴は鬼嫁のほうが長い。
私達みたいなとんでもない給料カットも食らっていない。
退職金も私より多い。
私達は退職金と呼べるほどの金額を貰えなかった。

旧・国民年金の加入歴も鬼嫁の方が長い。

企業年金も安泰だったようだ。

年金は男性よりも女性が優遇される。


住居費を計算に入れなければ、私より豊かな人生を送れるのだ。
ちゃんと1人で自活出来るのだ。

趣味の小旅行くらいは余裕で行けるのだ。

これは大誤算だった。。。


「余裕だ」なんて簡単には言えない事情もあるけど、その気になりさえすれば可能なのだ。


老後の「収入」と「保障」(ここでは書かない)だけを考えれば鬼嫁の可処分所得の方が多い。
それより私に可処分所得なんて存在するのだろうか。



P可愛さに戻ることを祈ろう。



他の原因も考えなくちゃならない。
それを整理することも必要だ。
相当手間暇がかかる作業だ。

何をするべきかを考えるのは、
未来と言っても良いくらい先のことになりそうだ。



新しいカテゴリーでも作ろうかな。
「未来について」とか…。
そんなもん作りません。


あんまり余計なことは書かないように気をつけねば。



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日曜日の夕方鬼嫁が来た。

「自立しろ」と言った。

「身の回りのことは自分でやれ」という意味らしかった。
やっていたではないか。

まあ、話すたびに言葉の意味が変わる奴だが、
今日改めて母親に尋ねたら
そういう意味で言っていたようだ。

母親も高齢者だからあんまり当てにはならん。

それが出来るようになるためにリハビリをしなければならなかったのだ。

鬼嫁は
「やる気の問題だ」
「やれば出来る」

などと言った。

冗談ではない。
私の身体は何も出来ないのだ。
退院した時よりも酷いのだ。

鬼嫁は
「私の診断書も退院後の指導書も見てない」
と言った。

本来なら私の身体は介助を必要とするのだ。

一体何を考えているのだ。


今日ヘルパーさんが来た。
1食分ずつラッピングして冷凍するためのご飯を5合炊いておいた。
然し明日(火曜日)の昼食分までしか食事を作れなかった。
次回来るのは木曜日のお昼ごろだ。

火曜の夕食から木曜の朝食まで食事が無い。

コメはなんとかして炊くがおかずが無い。
冷蔵庫は空っぽだ。

出来るだけ前回来た方に固定してもらうよう、ケアマネに頼もう。
今回の方が出来ないわけではない。
私のやりやすいように出来ないのだ。
話す時間が取れ無いから意思の疎通など出来るはずもない。

「魔の月曜日」を担当する方にそれを望むのは無理なのだ。


午前中にケアマネに電話した。

「鬼嫁の決めた予算などオーバーしても構わない」

少し増やすだけでけっこうな金額になる。
「先日提案して頂いたようなサービス内容に変更してくれ」
「金額を見積もってくれ」
「このままでは倒れてしまう」


2〜3日中には来訪してくれるそうだ。

然し、どうやって生きろというのだ。

鬼嫁には
「再発しようが死のうが関係無い」
と言われている。

何をきめつけて考えているのか知らないが、
鬼嫁としては私が死ねば楽になると信じているのだろう。
昔から世間の目など関係無い人だ。

私が寝たきりになったり
自分で自分が分からない状態になったら
鬼嫁の生活がどうなるか考えられないのか。

私の家だけ相続して逃げるつもりなのか。

勘違いかもしれないが、
両親の家は民法上私の子供達が
相続することになると思うのだが、
それも狙っているのだろうか。

鬼嫁はそこまで小難しいことを考えられないはずだ。

いつもピントはずれだが
鬼嫁は今回も私のために
良かれと思って行動している部分もあるのは確かだ。

でも今の私に自立など不可能だ。
家事がリハビリになるレベルではない。
リハビリをして
少しでも家事が出来るようになることを夢見る身体だ。

そして私のAS的性格が大嫌いなことも確かだ。

私がASであることは否定しないが
鬼嫁の表現力の無さのほうが大きな問題だ。

でも私はちゃんと仕事を続けてきた。
苦手な社会生活もゴマカシながらこなした。

気分任せのお気楽鬼嫁とは
見知ったことや経験してきたことの
数と範囲と深さが違う。

大事なことを決めさせられたのはいつも私だ。
鬼嫁に大きな問題を処理する能力は無い。


ケアマネに続いてレンタル業者に電話した。
平行棒を申し込んだ。
私からもケアマネに申し込まねばならないが
電話を掛けることさえ大変なのだ。
全て業者に任せた。



金はすぐに底を尽くだろうけれども
先ず今を生きねばならぬ。


金が無くなったら身内にでも無心するしかないが
そんな当ては無い。

毎日4キロも散歩していたぴっぴを
例え300メートルでも散歩に連れて行けるようにならなければならない。
たった1週間で爪が伸びてしまった。

散歩せねば私の大たい骨も再び骨粗鬆になってしまう。
退院後2ヶ月目のレントゲンに写った私の骨は素通しに近かった。
主治医も驚くほどの骨密度の薄さだった。
その後大分良くなりレントゲンにも骨らしく写るようになった。

ところが退院後鬼嫁にリハビリをさせられなかった。
ぴっぴの散歩どころか歩けなくなった。
筋力も落ちた。
骨密度は相当下がっただろう。




1.介護サービスの内容を見直す。

2.リハビリに力を注ぐ。

3.生活のリズムを折り戻す。

これが難しい。
身体がついてこない。
毎日やるべきことの半分も出来ない。

身の回りのことをするのはその後だ。



先週リハビリ責任者に
「長期戦ですね」
と言われてしまった。

私が望んだのは退院直後より低レベルの身体だ。
それでも長期戦なのだ。

リハビリをさせられなかったツケはおおきいのだ。

私がブログを始めたのは発達障害がきっかけなんです。
ブログの基本に位置したのが成人ADHD。

初代ブログはADHDに特化したブログ。
私の記念碑みたいなブログ。
あれで一区切りつけたつもりが2代目、3代目のブログにも記事を移しています。(一部の記事は行方不明)
どうあがいても身体(脳みそ?)がADHDとお別れできないんです。
ホントはそんなもんとお友達になりたくない。
だけど共存するっきゃない。

私なんか恵まれているほうです。
家庭もあれば子供もいる。
曲がりなりにも人並みの社会生活を送ってきた。
年金生活まで計算済みです。
成人発達障害としては軽度の部類なんでしょうね。

自活することさえままならない方も数多いんです。
自活とは一人で炊事をして食べるだけのことです。
掃除、洗濯も含んでたっけ。
キャンプ生活みたいなもんです。
自立なんかじゃありません。
自立とは社会生活を送ることです。

軽度の私でさえひどい思いをしています。
大多数の方たちは私より苦労していると言っても良いでしょう。
自活することが出来ないんですから。
行政の援助申請を申し込み門前払いされている方も少なくありません。
自治体によっては教師に対する教育も進んでいます。
然し、病気や障害はなった者でなければ理解できません。
理屈じゃないんです。
経験なんです。
理解できない者が教師を教育したところで何が出来るのか疑問です。
理屈だけ覚えた教師に何が出来るのでしょう。
私は殆どの教師に期待などしていません。
2代目のブログでは教師を叩きまくっています。

厚生労働省は発達障害者の声に耳を傾けずリタリンを取り上げました。
ヤンセンファーマはマスコミに叩かれるのが怖かったのでしょう。
マスコミはリタラーとリタリンの過剰投与を行う医師を告発するつもりがリタリンは悪との印象を深めてしまいダンマリを決め込む始末。
リタリン取り上げるより犯罪を取り締まるのがスジだと思うんですけどね。
代わりに出てきたのがコンサータ。
リタリンと同じと言われているが化学式は異なる。
コンサータが手に入る子供達は良いだろう。
成人はコンサータさえも取り上げられてしまった。
ベタナミンなんてものを頂いているが私には殆ど効果がない。
私に死ねとでも言いたいのか?
援助も保護もしないけど社会で生きろと言うのか?
それでも何とかするけど。
社会生活を営むけど。
しないで済む苦労をしなきゃならない。
だから厚労省も叩いた。
「損保ジャパン始末記」などおまけにすぎない。
あんなもの刺身のツマ以下だ。
我が子のために当たり前のことをしただけ。
苦労の範疇になど入らない。

言いたいことは山ほどある。
書き出したら切りがない。
でも私のブログはメンタルブログじゃない。
社会生活の営みを綴るブログだ。
思いついたことを綴るブログだ。
「成人ADHDだから出来る訳がない」なんて書いたことなどない。
グチはこぼすけどガス抜きとして必要なのだ。
普段の生活でも「成人ADHDだから出来ません」と言ったことはない。
見える障害・見えない障害に関わらず、そんなことは当たり前のことだ。
病気や障害を抱えて社会生活を営んでいる者なら誰も言わない。
だが社会生活を営めない者に迄それを要求するのは無理というものだ。
慰めや同情など何の役にも立たない。
励ましも状況によりけりだ。
必要なものは「共感」。
そして「生きやすい社会の枠組み」。
愛と感謝も悪くない。

病気や障害を持つ者だけが大変なわけじゃない。
たまたま障害に軸足を置かなきゃならなかっただけ。



終わんないからもうやめよう。

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ケアプロスト