1人になってしまった。

トペンぺ さんのコメントをまとめて読んでみよう。
読んでもらう記事じゃない。
私が読むための記事なり。


明日の通所リハビリも寝不足決定だな。
いつも着く早々、ベッドでお休み。
入浴したら、またベッド。
昼食を取り、またまたベッド。
ベッドでストレッチをしたり、手足の爪を切って貰う。

表に出てタバコを1本。
ガラスに映る姿を見ながらの歩行練習と簡単な自主リハビリ。
室内に戻り平行棒を借り、初歩的リハビリ。図に乗り過ぎるとぴっぴの散歩が出来なくなるから極々軽めの自主リハビリ。


タイトルの「後出しジャンケン」は、単なる「言い訳」の意味のつもり。


間に入ってくれる人がいないというか、皆さん去って行ってしまった。
外食くらいは付き合ってくれるだろうが、それ以上は望めない。
最も適役だった父親は完全にボケてしまった。
そして、みんな歳を取り過ぎた。

会話が成立しないのだ。
全角50文字のショートメールを読解するだけで疲れてしまう。
事実と自分の勝手な思い込みの区別が出来ず、周囲に伝える。
結果的にウソを伝える。
ホウレンソウが出来ない。
望みは私と同じで「穏やかな生活」だろう。

ADHD&アスペルガーの私に、これ以上の対処は不可能だと思う。
自分が生きるだけで大変なのだ。
逆に言えばADHD&アスペルガーを理解しようとしても良いではないか。
家庭なんて家族みんなで作り上げるものだと思う。
私1人が責められるのは納得がいかない。
お互い様ではないのか。

私は人様より数多くの家庭を見て来た。
我が家の問題なんてありふれたレベルだ。
なぜ、感情的になり、デタラメを言うのか分からない。
そこいら辺の奥様たちは、そんな事しないぞ。
言いたかないがおバカさんとしか思えない。
女性の恥さらしだ。


後出しジャンケン終了。


トペンぺ さんは私を知り過ぎている。
だからこれ以上は何も言わないし、言えるわけが無い。


後は読むだけなのだ。


このコメントは長い。2つの記事に分けようかな?



「始まり始まり」


通訳無しで、何をこれから進展させますか?

想像してください。ぷうすけさんは奥様から、奥様はぷうすけさんから、どんな欲しい言葉が残っていますか。

窓を開けて叫んでしまったような奥様のパーソナリティーを、言葉にされていない部分も診断して整理できる通訳、そしてぷうすけさんにも同じことが出来る、ぷうすけさんが停止している自分探しを、叱咤激励して一緒にできる通訳が必要です。

コメンターに対してこれだけ余裕が無いなら、夫婦同志もなおさら許せない執着しか無いんじゃないですか?

想像してみてください。
「ぴっぴが可愛いから戻ってあげるわよ。」「鬼!」
「もうお金も無くなるでしょ。」「鬼!」
「他に行くあてが無いから戻ってあげるんだからね!」「鬼!」
取りつくしまがありますか?
「土下座します。会話します。従います。」「勝手にしんでください。」
「長く広く物を見るように努力します。人の気持ちが解らなかったら聞いて、それでも解らなかったら謝ります。」「勝手にしんでください。」
「長年の人妻業に感謝をします。いたわります。一人で完結しないで理解されるまで何でも話します。」「勝手にしんでください。」
仮にお2人で会話を再開したとして、これ以上の進展はあり得ますか。

成り立っていない関係、関係の残骸にぷうすけさんも私達もこだわって、同情して一緒に嘆いてあげているだけでしょう。

何が欲しいですか?何が望みですか?

「鬼!」「鬼!」「鬼!」と絡んでから一切を無視する支配関係に持ち込まないと、心から安心できないのではないですか?
奥様も恐らく、ほとんど同じ願いをお持ちではないでしょうか。
怒りと罪悪感の繰り返しの不毛な中毒ですよ。ただの一触即発な戦争ですよ。

これはブログだけには持ち込みきれません。
デイケアに持ち込んでも、無理って言われるでしょう?
整形外科に持ち込んでも無理って言われるでしょう?
精神科に持ち込んでも「薬要る?要らない?」の話にされたら、「要らない」になるでしょう?
発達障害はAかBかの二択は、本意で無くても大好物で喰いついてしまいますから。
福祉課に持ち込んでも、後でね、と言われるでしょう?
私にも言えることですが、発達障害は問題解決や問題の理解の視点も段取りも、分析も、全部相手任せにしてしまう欠点があります。
相手が相手都合ばかりでこっちの都合を考えてくれなくても、果ては潰しにかかっていても、巻かれてしまう。巻かれないとウツ気味になるくらい、強迫的に巻かれないとならない気がしてしまうんです。

でも、その繰り返しだとスパイラルから抜け出せないんでしょう?
ご家族との関係修復も、したいのかしたくないのかも、ご自分でよく分からないから、何を頑張ればいいのかも分からないままなんでしょう?
だから結論は、誰にも頼れない、んじゃないんですよ。

頼る場所寄こせ、オレ様のペースでオレ様の言いたいことを言葉でもメールでも持ち込む場所を寄こせ、とねじ込むんですよ。

どこにかは、知りませんよ。話が分かる人、悩みの肩代わりや依存は出来なくても、理解と支援ができる人間を見分けてねじ込むんですよ。

私ですら目的や、ワンワン鳴いて付いていく師匠が無いと、生活の全てが停止します。
ADHD気質のぷうすけさんならなおさら、突進する目的や敵がいない生活は生命活動の全てが止まったようになるかもしれません。

行き場の無い依頼心も、敵意も、情熱も、未練も、見捨てられ不安も、憎しみも、自尊心も、ぷうすけさんは片っ端から今、持て余しているんです。
答えの出ない計算式は、発達障碍の我々にはいくら時間をもらっても解けません。

当人のぷうすけさんは、気分変動が止まらない気分障害になりかけています。
そして、私も初めてでは無いですが、なるかもしれません。それはぷうすけさんにとっても不本意だと思います。そう思いたいです。

十年前からの当事者たちを振り返っても、今のぷうすけさんは、非常に福祉支援を頼みやすい立場だと思います。

生で見えないゆえに、言いたいこと言ってるのかもしれませんが、精神科通院、身体障害、発達障碍、福祉介護利用者、虐待一歩手前、これだけのハンディを、今、周囲の何人もの関係者が情報共有しています。
「ぷうすけさんには支援はこれで十分。これ以上望んだら我が侭です。」なんて、県から結論は正式に出されましたでしょうか。
福祉支援は、「不便です。助けが要ります。」と望んだ時にもらえるんです。
言葉にも出さずに、そっぽを向いて、歯を食いしばって我慢する人に、「遠慮しないでどうぞどうぞ。」と差し出されるものではないんです。

私の自意識過剰かもしれませんが、ぷうすけさんは、それをコメンターに求めてるようにさえ見えることがあります。
違います。それは喰い下がって、ねじ込んで、生の人に望むものなんです。

お子さんたちにだって「いい大人になって、トラブル仲裁の際に片方の言い分だけ聞いて信じ込むなんて、軽率すぎるぞ!相手が親だからいいようなものの、それを本物の利益が掛かった仕事の場でやったら大変なことになるんだからな!さらにお前は将来嫁をもらったら、母親と嫁の関係を調整する責任が全部かかってくるんだぞ。オレ様は頼りにならないんだから、今からオレ様以上の甲斐性を身に付けろ!」ぐらいの啖呵を、今ご自分で切れますか。

声がアレで?発音もアレだから?地団太だけ踏みますか?
その悔しさをコメンターになぐさめさせるのこそ、無理。
じゃあどうやって伝えますか。今までちょっとずつメールとかで伝えてきたわけではないんでしょう?

十年前、私達の人権なり医療なりは、声だけ大量に用意してもねじ込む場所はありませんでした。
情報共有なんて、絵に描いたケーキでした。
求めたらただの騒がしい人扱いで、無視とひんしゅくでした。
一人で求めたら社会的立場の破壊行為でした。
リタリンを廃止されても、私達に替わりの人権は保障されませんでした。障碍の償いに自己卑下すらさせられ、その差別精神は今の子どもにまでも浸透してしまいました。

もらえないものは取りに行かねばならないと思いましたが、当事者は手頃なお仲間に甘える能しか持たないことを選びました。
自分たちの人権を、自尊を自分たちで放棄しました。

でも、ぷうすけさんは諦めなかった。だから今の境遇があるんです。最大限活用して欲しい。疎開をしないなら、しがみついてがっついて支援を使って欲しい。

それから外に、家族との通訳役を頼む話が出来たとしても、話しても無視されたとしても、ブログに報告を書くかどうかはぷうすけさんにお任せします。その必要性を思い出すことがご負担なんでしょ。
ご飯よりも重要性があることではないと思いますしね。お好きにしてください。
報告をして欲しかったら、して欲しい理由を的確に理論整然と述べて依頼するのが筋なんでしょうが、そういうの無しにするほうが、楽でしょ。
コメンターに限らず、人からの助言やコミュニケーションなんて、『記号』なんでしょう?欲しい時に欲しい『記号』だけ目の前に来れば、それ以外を寄こす人間は役立たずでしょう?
思考回路の中に過去と現在が一体化している女性脳の都合なんて、○○喰らえが本音なんですよね。

ね、トペンぺは何が言いたいか、もう分からないでしょう?だから役立たずなんです。

>家族との通訳役が必要不可欠

それと、これについても「ああそうだね」と同意だけしなさいというつもりではないんです。

外の人に声と言葉でちゃんと訴えてください、と言いたいんです。

ここまで書かないと伝わらない気がするんですよ。
伝わったかどうかは、直接会って、声色と顔色を読み取った人間にしか分からないことです。
ここは所詮ブログ、そして私の現実は労働者組織の底辺の力量しか無い人間。

謙虚さを態度にも出す努力もしましょうね。
一口に「どうしたらいいか分からない」と言っても、能力的に分からないのか、不貞腐れているのか、二通りの見方があるんです。
始めから『どうせ能力の問題だと解ってくれないんだろう』と決めてかかると、元のもくあみです。
不貞腐れる相手は、カウンセラーとか、そういう役割の相手にです。
それ以外の相手には、相手の立場に沿って、挑むつもりで私は訴えるものだと考えています。

ぷうすけさんは、もともと非常にそういう姿勢は上手だったのではと思います。
発揮してください。

隠れ家へ書かせてもらった文からのコピーです。
『ごめんなさい。難しすぎましたね。
モデル事例や例示はADHDにはよく伝わらないことがあるのは知っていました。
でも、ぷうすけさんに「もっと詳しく、ここをこう詳しく、こういう目的で詳しく」と書かせてもらっても、ぷうすけさんの塞がれた感情が先に立って、やっぱり伝わりませんよね。
他人へのコミュニケーション自体を、どの人にも詳しくする習慣が足りな過ぎています。
適切な指摘かどうかは分かりませんが、そう思えます。
だから、“解り合えていない人”相手にする説明として理想的な会話モデルを見つけたので「これですよ!」と例示しようとしました。
続きは表のブログに書かせてもらいますね。』

ご自分で、気分が迷走して上下しているのが分かりますか?

不満だけ聞かせたい。
でも現実問題も心配。
自分の言い分だけを聞かせたい。反論も説教も要らない。
でも問題の進展も手伝ってほしい。進展しなさそうのは分かってるけど進展しないと不安。
でも数ある問題の原因の一つである自分の落ち度には触れないでほしい。

欲求から欲求へ、承諾から否認へ、その逆へ、飛躍し続けていることは自覚していらっしゃいますよね。
ブログの文なんて幾ら飛躍しててもいいんです。
精神的にしっかりしていることさえ伺えれば、読み解けます。守秘義務も守っていんです。

でも、ブログを頼るだけだとご自分を自分で自制できなくなるかもしれないことは、感じていますか。
ブログの他にも、直接会える人間で、介入してくれる人が要ると思います。

私も修行を積むまでは分かっていませんでしたが、人を信じているつもりでも、迷惑をかけないよう絡んでいないつもりでも、自己完結な解釈だけして待ってるだけでは、人は分かりやすい言葉を勝手に持ってきてはくれません。
ぷうすけさんは謙虚なかたですが、つもりがなくても『ふんぞり返る』形で家族の理解を待ってることにされてしまいます。

私は長文ですが、それでもこの問題を説明するのには文は足りないんです。所詮、発達障碍同志なんですよ。

ぷうすけさんには、生身で会ってくれる、家族との通訳役が必要不可欠な気がします。







発達障碍のコメントは、残念な使われ方をしてしまいました。
ぷうすけさんが記事に書ききれなかっただけで、本当は理解していらっしゃることかもしれませんが、私が下手な表現で書かせていただいたことは、発達障碍の対応でも治まりきらない“女心”のことです。

私は未婚者なので、娘の立場からしか実感のある言葉を言えませんが、行き着くところは『それでも結婚をしたんでしょ?』ということになってしまいます。

“女心”が全ての免罪符になって、誰に何をしても、人の道を外れても許されると言うわけではありません。
第三者から見てもやりたい放題、な言動になってしまっても、恥ずかしいのは社会やお子さんに対してです。
配偶者は裁判官であってはならない。
どんなに理想から外れていても、どんなに期待外れでも、どんなに騙され感があっても。

私の母は、一番初めに産んだ私が、育児本どおりに育たない娘でした。二人目の子の弟もそういう特性を持っていました。
父は失望しても良かったですが、しなかった。
私達は、父側の親類たちにとっては、理想と一致した子達かどうかは分かりません。

父は、私達が人さまに迷惑を掛けたり怠けたり常識から外れると叱りましたが、母や私達を裁きはしなかった。
でもそれは、母も努力して父とコミュニケーションを取り、両親の共通意識とか養育の方針とかを私達に示したから、私に伝わったことです。

両親は、どちらとも黙らなかった。とにかくしゃべった。聞いた。答えた。
今の私達世代のように(相手が追いかけたくなるような異性でいたいワ)(いつまでも神秘的な部分を残したいワ)(美容に良くないからストレスなんて耐えてたらいけないんだワ)な甘い意識はみじんも無い。
戦後すぐ生まれはどうしてこういうやり方ができるんだろうと思います。
私から両親の様子を探ることを覚えたのは、ずっとずっとずっと大きくなってから。

お子さんたちの意識に、納得できない部分があるんでしたら、どちらかの責任ではなく、両親両方の共同責任だと思うんです。
ご自分を責めなくていいですから、離れて生きる前にそこを認めていきませんか、とお聞きしたかった。

夫婦が、100%ではないにしても、裁き合う視点でお互いのことを観ていたら、どんな人間でも恥ずかしい部分を持っていますから、相手を罰さないと許せない結論になってしまいます。

もう距離を置いて人生を再スタートされるにしろ、されないにしろ、個人的なメールで送らせてもらって、公開していない文も載せますね。

【奥様が、お金の次に欲しかっていたもの、それをぷうすけさんが見つけられていないので、本当はこれ以上言い様がないんですが、先々にお金が欲しいだけ入らないことが分かった時点で、その先、何を目的に生きていくのか、何をお金の代わりに当てにする人生にするのかを、結論が出なくても、ご夫婦で確認する機会は必要だったかもしれません。

親が方針を出さないと、子どもは代わりに決めてあげられないし、もしも「あ、惰性の夫婦関係なのかな」と思われた時点で、子どもさんも成人していてもそれなりに心細くなるのではないでしょうか。(ほんと失礼な想像ですよね。)

ぷうすけさんは、お金の代わりの関心ごとを、一人の世界で一人の時間を使って黙って一人で見つけて終わっていたとしたら、そこから“一人で生きている”形になっちゃっていたんじゃないですか?
そういうつもりじゃなくても、奥様にはそういう姿に見えて、否定するようなネタも何も無くて。
「オレ様からは歩み寄っていたぞ」とお思いだったとしても、奥様の理解度には添っていなかったり、仕事場でしか通用しないような物足りない歩み寄りで終わっていたのかもしれない。】

(省略)
意地悪い後出しジャンケンのような内容にも読めてきます。
私は後出しジャンケンは基本的に大嫌いで、昔、仕事でも抗議してしまったことがありますし、家族や自助(だから機能しなくなったでしょ。)でもし故意にやられたら、胸倉を掴んでもいいような怒り方をします。

でもね、ずるい話ですが、愛情や関心の確かめ方を分からない人っていうのは、後出しジャンケン、したいんですよ。
女性は子ども産みますから。出産というのは、もう神様単位から託された、後出しジャンケンですよね。
今は分かりますが、すぐ最近までは、男か女か、健康かそうでないかも、産まないと分からなかった。
ジャンケンに勝てなかったから、じゃあ母体は出血多量のまま罰として打ち捨てられてもしょうがないね、役立たずは処分廃棄して、他に若いお嫁さんをもらうよね、子どもはタライに乗せて川に流されても仕方ないよね、で、それで女性は本能から納得しますか?気が済みますか?

後出しジャンケンでも、負けても、愛されないと女性として機能できないでしょう!

第一次反抗期の乳児から始まって、女性だって、すねる、いじける、ひがむ、したいんですよ。仕返しに絡まれるのは許せませんが。

そこから、無意識に、いつの間にか、距離を置きませんでしたか?面倒くさそうな話になりそうな時とか。】

でもね、焼け石に水だと思いますが、この辺を分かっていないのはぷうすけさんだけじゃないんです。
発達障碍気味な言動をする、男性も、女性も、まだまだいっぱい分かっていません。もちろん私も分かっていません。

だから、本当はぷうすけさんには、精神的に極限をご覧になったからこそ、そこから回復して、分かっていない若者を叱りつける人になっていただきたいです。
突き離して見捨てるんじゃなくて、分かるまで叱れる先輩。若者は突き離すとそのまま離れて行って反省しなくなりますから。

こうして締めくくっても、後から思いつくお礼もあるかもしれません。
私にとっても、読むぷうすけさんにとっても、まだ書き足りないことがあるかもしれません。ご不満はぬぐえないかもしれません。
でも、ありがとうございました。お世話になりました。

私は、独りでぶつかり稽古をしなければなりません。さようなら。



有難う。
でも、もう無理だと思う。


いつから、こんな情けない奴になってしまった?

2011年3月11日がトリガーだという事だけは確かだ。